当財団所蔵の「上杉謙信書状」が富山新聞・北國新聞(2018年1月4日付朝刊)で紹介されました

当財団所蔵の「上杉謙信書状」が富山新聞・北國新聞(2018年1月4日付朝刊)で紹介されました。
20180130

【記事要約】
本書状は越後を本拠とした戦国武将上杉謙信が1571(元亀2)年、越中攻めの際に能登畠山氏の家臣たちに宛てたもので、謙信が越中攻めを「義の戦い」とした内容である。
約50年間行方知らずになっていたが、この度太陽コレクションより発見された。
書状の調査を行った富山市郷土博物館の萩原大輔主任学芸員は、この書状の約三ヶ月前に書かれた資料は謙信の越中に対する領土欲がうかがえるとし、「謙信の二面性が浮かび上がる貴重な書状」としている。

【萩原氏による書状の大意】
手紙で伝えてこられたとおり、(神保)長職がいろいろと嘆願してきたので、やむなく(越中へ)出馬し、(三月)十七日に神通川を越えて、十九日までの三日間で敵地をことごとく押さえ、内々に守山城と湯山城を攻め落とそうとしていたところ、六同寺川が増水して今まだ越えることができていません。戦況についてはご案じなさらないでください。心を砕いた早々の使者をよこしていただき、うれしく思います。これからますます懇意にしたい心中でおりあますので、了解してもらうことが肝心です。よろしくお願いします。